ビッグウィング(BW)オーストラリア・ツアーに参加して | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月30日から10月6日まで、私達マンデイの盟友バンドであるBWのオーストラリア・ツアーに彼等のベース・吉井さんのトラとして不肖 長島 参加して参りました。
日程は下記の通りで、メンバー20名の他 家族友人を含めて総勢31名の団体さんでした。
彼等としては、89年・92年に引き続いて3度目となる "Manly International Jazz Festival"への出演の為のツアーです。 めったにない機会だからと軽い気持ちで引き受けたのですが、8月19日に彼等の練習に参加してからツアーから戻ってくるまでの1ヶ月半は、まさに怒涛のような日々でした。 出来るだけマンデイにも迷惑を掛けない様にと思い、毎週月曜日はマンデイ、木曜日はBWと、練習の掛け持ちをしていました。 しかし私が一番困ったのは、日程のきつさでは無く、BWの曲の難しさでした。演奏予定の約30曲の中で、私がリラックスして演奏できるのはほんの2−3曲だけで、殆どの曲は譜面に弱い私にとって、ナンデコーナルノ?という欽チャン状態のものばかりでした。 9月に入ってからはさすがにこれではまずいと思い、結婚して21年になる家人に「家でこんなに練習している姿を始めて見た」と言われる位で、譜読みに強い彼女に「裏が甘い!」などと言われながらも随分練習にも付き合ってもらいました。 …ってオーストラリアに行くまでの話しで、こんなに長くなってはしょうがないですね。 さて、そんなこんなで目的地マンリー市のホテルに入ったのは10月1日午後。 マンリーはシドニーからフェリーで30分程のタスマン海に面したリゾート地で、10月1日から4日までの "Manly International Jazz Festival"は、今年で23回目と言うオーストラリアでは大きなイベントでした。 この期間中、街のあらゆるところにステージが設けられ、新聞によると80以上のバンドが演奏していたようです。 ステージだけではなく、いわゆるストリートパフォーマンスと言う形でも演奏が繰り広げられ、 通りすがりのおじいさんが一緒に唄い出すような光景も見かけられて、本当に街中でJazzを楽しんでいる感じを強く受け、 ミュージシャンの端くれとして嬉しくなるような暖かい雰囲気にあふれていました。 又、Internationalというだけあってアメリカ・イギリス等オーストラリア以外の6ヶ国からも参加していましたが、 いわゆるアマチュアはBWだけの様でした。 マンリー市の姉妹都市である台東区主催のJazz Contestで優勝したBWが、そのご褒美ではじめてこのFestivalに参加したのが89年。 好評の為、再度招待を受けたのが92年。そして3度目の出演が今年と言う事だそうです。そんないきさつからか、 2日目の夜は現役の女性市長を始め3代前の市長さんまで揃って、 BWの為だけの小さいけれどアットホームな歓迎パーティーを開いて頂きました。 思いがけなく女性市長さんから全員に親善証明書?が手渡され記念写真まで一緒に撮ってもらって、 そんな経験の無い私もチョッピリ誇らしく思いました。 今回のBWツアーに参加して、やはりマンデイとして海外で演奏したいなあと思いました。 日程的な事、経済的な事 等々 調整すべき点は非常に多いのですが、マンデイとしても1月の香港での演奏に引き続き、 海外での演奏を積極的に検討していきたいと思いました。 やっぱり楽しいですよ、絶対に!!。 (でもでも、ウーン、3−4年後かな?)
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マンリー紀行文(その1)「コアラパークに私がいた」の巻 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イヤー、やっぱりエコノミーで9時間半はキツイですよね。今まで香港の4時間半が最長滞空時間の私としては嬉しいような腰が痛いような、でもお酒たっぷり頂いて殆ど寝ていたから大丈夫大丈夫でした。 しかし、寝ぼけまなこで見た雲海の端から上がるご来光は素晴らしかったです。機体の真横からの日差しで、アア南に向かっているんだと実感しました。近くの席のDonに聞いたら、英語ではご来光の事を「Day Break」というのだそうです。さすがに手を合わせては拝まないそうですが…。国際派バンド・ビッグ・ウィングに居ると勉強になります。 食べて飲んで寝てのフォアグラ状態からやっと開放されて、10月1日7時半シドニー空港着。いきなりの「大川さん機内に薬置き忘れ事件」も無事解決。 ホテル・チェックインまでの半日観光に出発です。 見慣れない木々と植物(ボトルウォッシュって面白いですよね)に反して見慣れた日本車の多さに驚きながら市街地に向かいます。うす曇りの空のせいか、あまり南半球という感じはしませんでしたが、道沿いのアパートのバルコニーのたたずまいにだんだんと異国を感じつつ、オペラハウス・ハーバーブリッジのウォッチングポイントを経て、コアラパーク・サクチュアリに到着。道沿いの「つつじ」の花に、ああ今ここは本当に春なんだと、妙に納得していました。 さて、そのコアラパーク、正直あまり期待はしていませんでしたが、いきなりのウォンバット登場でびっくりです。自分でいうのも変ですが、似ていると思いました。そして次のコアラ、本当に私はウォンバット・コアラ・パンダ系だと認識しました。ユーカリの木に沢山のコアラがなっているようなその寝姿に、「アア、私だ、私がいる」と妙な親近感というか連帯感まで感じてしまいました。いえいえ、私だけではありません。横川さん、斉藤さんだってネェ、中年スリーウォンバッツですか?。その他、カンガルーまでも身近に触れる事が出来るオーストラリアらしい動物園で大いに楽しめました。 バスでマンリーの茶系で統一された町並みに入ると、メンバーの中から「7年振りか、懐かしいなぁ」との声がしきり。大きな波に洗われる海岸沿いの道にバスを停めて、テイクアウトの昼食。明るくなってきた日差しの中でコルソ通りという街ごと遊園地の食堂街の様なところで、各々勝手にテイクアウト。良く分からずにピザを頼んでそのボリュームにびっくりです。 6日まで滞在する3つのホテルに分散。私達のホテル「グラント」は、部屋に入るまでの右往左往はあったにしても、部屋に入ってその眺望の良さと部屋の大きさに、大満足です。はるか遠くにシドニータワー、フェリー乗り場を真下にして、全面海が眺められる 20畳程の1LDKと階下に2ベッドルーム・2バスシャワールーム付きのコンドミニアムというのでしょうか。お湯の使い方に一騒動あったものの、各自荷物を整理して、いざリハーサル会場のライブハウス「Boatshed」へ。 いよいよ私のBW・オーストラリア・トラ・ツアーが始まります。 「雲海の 涯てに来光 春へ飛ぶ」 長島でした。
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マンリー紀行文(その2)「桜草よ泣いておくれ」の巻 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大事な初日(10月2日)のメイン・ステージ。ステージの上からお客さんの顔も見えていたし、やぐらの上の大川さんにも気がついたし、大丈夫だと思ったんですよ、本当に。2曲目?の「Shaw 'Nuff」でいつものように?裏返った時も、割りと早めにCatch up出来たので、このぐらいならシャレで済むかなと思ったんです。BWメンバーの皆さんには申し訳ないですけど、何せ、こちとら間違い慣れているものですから。 でも、ボーカルの「On A Clear Day」。これは駄目です、ごまかしようがありません。イントロ後のリズムと歌だけのところでいきなりの迷子。ここはどこ?と虚ろな目で角田君の方を見た瞬間に、小浜さんの「なんかおかしいよ!」という声の駄目押し。サビか、次のコーラスの頭か分からないけど、とにかくCatch upするまでの長かった事。もう1曲渡辺さんのバックもおかしかったようだけど、それさえもあまり認識する余裕もない程、この曲のダメージは大きかったです。神谷さん、本当に御免なさい。 胃がチリチリする中、ステージを降りるや否や、メンバーの皆さんに平謝り。神谷さん、渡辺さん初め皆さん、「エ、なんかあったの?」と気を使って優しいお言葉。でも、この言葉は、ただの優しいものではない事は、最後のステージの後に気がつきましたけど…。 このままでは日本に帰れない、一緒に笑顔で帰りの飛行機に乗れない、真剣に思いました。幸い、3日の「Boatshed」でのライブは夜。マンリーにしては珍しいそうですが、朝から雨模様の一日。雨に濡れるベランダの桜草に似た花に見守られながら?、食事以外はひたすら練習です。「Willow Weep For Me」ならぬ「Sakuraso Weep For Me」ですね。 でも、あっという間に集合時間。エーイ、もうしょうがない、やるしかないか。半ば開き直って、ライブの始まり。直前に振られた英語のMCでの「Love Is Here To Stay」と、リズムセクションのメンバー紹介が、そこそこ受けたので気が楽になりましたね。貢献度としてはこっちの方が高かったかな。Smiling朋チャンに、「迷子になったら教えてね」ときちんと緊急対策も講じつつ、いざ教えてもらったら違うところだったという小ネタも貰いながら(勿論間違える私が悪いんですけど)、ステージ毎にどんどんお客さんが盛り上がっていくのが肌で感じられて本当に嬉しかったです。バンド自体、良かったですよね。Don、丹治さん、渡辺さん、斉藤さん、小浜さん他皆さんのソロの都度、盛り上がってましたよね。でも私が一番お客さんの反応が演奏前と後で大きく違ったように思えたのが、「Do Nothin' Till You Hear From Me」。山内君、素晴らしかったです。…ってようやく私に、皆さんの音が聞こえてきたのかもしれませんね。 3ステージの最後の曲が終わった瞬間の熱い拍手に、ようやくトラの役目が果たせた思いで本当に肩の荷が下りた気がしました。「Boatshed」での打ち上げのフォスタービールのうまかった事。後のステージはもうおまけかな?。イヤー本当に良かった、良かった。 「裏返る 怖さも知らず 桜草」 長島でした。
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マンリー紀行文(その3)「虹を越えて」の巻 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最終日10月6日の早朝6:30に私達「グラント」組がバスに乗り込み終わって、遂にマンリーにお別れです。実質5日間もマンリーにいた事が嘘の様なあっけなさです。
7月の七夕コンサートで甘利さん・横川さんから冗談のような今回のトラのお誘いを受けて、まあめったにない機会だからと安易に受けてしまったのが7月下旬でした。
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