Quarterly Monday vol.7


 
発行責任者:長島 輝雄

"Quarterly Monday" vol.7
(2000年10月1日号)
Mondaynight Jazz Orchestra メールマガジン
(1月4月7月10月初旬の年4回発行、次回2001年1月初旬発行予定)
bcc配信先:281名様宛(10月1日現在)
発行責任者:長島 輝雄(Manager兼 MC兼 Bass少々)

 

●目次●
 
(1) はじめに: オリンピックの話しをちょっと

 
マンデイナイト・ジャズ・オーケストラ(MJO)のメールマガジン 「Quarterly Monday」をご覧頂いている皆様、お元気ですか?

やっぱりオリンピックは盛り上がりますよね!。特に今回は時差も少なく、リアルタイムで競技が見られたせいでしょうか。
野暮用で女子マラソンの時に横浜の街を車で走っていたのですが、交通量が驚くほど少なくて、目的地までいつもの半分もかからずに着い ちゃいました。後で知った視聴率59.5%という数字を実感しましたね。
さて、20世紀最後のスポーツの祭典も今日で終わり。
私達は私達だけの20世紀最後の音楽の祭典?に向けて・・・、マンデイ、 チャ・チャ・チャ??(・・・早く頭を切り換えなくっちゃ・・・)
 

(2) トピックス: 今年のリサイタルは「Good Vibrations」です

 
今年のリサイタルのゲストは、若手Vibraphone Playerであり、作編曲家でもあり、ご自分のビッグバンドやコンボでご活躍中の香取良彦さんです。クールでホットなVibraphoneの魅力をたっぷりとお楽しみ下さい。(香取さんのHPもご覧下さい。http://riversidemusic.org/ )

そのVibraphoneにかけて、良い感じor良い雰囲気という俗語訳「Good Vibrations」というタイトルです。ほら、昔Beach Boysの歌にあったじゃないですか!!・・・ってメンバーに言っても誰も知らないって言われて、そっちの方が私はビックリでした。(皆さんご存知ない?)
まぁ、とにかく良い感じ・良い雰囲気のコンサートを皆さんにお送りしたいと思います。是非お越しいただきますようお願いいたします。
又、今回は「きれいで暖かな音を客席に届ける」をテーマに、出来るだけ生音に近いMJOサウンドをお楽しみいただけるようにしたいと思います。この点もお楽しみに。

その詳細は次の通りです。

タイトル
第27回 Mondaynight Jazz Orchestra定期コンサート
「Good Vibrations」
日時

'00年11月25日(土)17:30開場 18:00開演 20:30終演予定

会場
新橋ヤクルトホール(JR・銀座線・浅草線 新橋駅 徒歩3分)
ゲスト

香取 良彦(Vib.)

料金
\2,000(全席自由)
チケット販売

ご存知のメンバー、下記長島宛にお申し出下さい

会場
新橋ヤクルトホール(JR・銀座線・浅草線 新橋駅 徒歩3分)
主催

マンデイナイト・ジャズ・オーケストラ

後援
(株)下倉楽器・東京都社会人ビッグバンド連盟
お問合せ

マネージャー 長島 輝雄
(Tel&Fax:045-544-5987)(E-Mail:tnaga@p01.itscom.net)

 

(3) メンバー紹介: 4th Trumpet・照木信久の巻
 
私の履歴書
 

照木 信久
 

マンディーに参加しあっという間の26年であった。人生の半分以上 を良き仲間と共に過ごすことが出来、幸せと言うべきであろう。私は設立から2ヶ月遅れで参加したが、最初からのメンバーは小林バンマ スと野口氏の2名だけとなってしまった。しかし、その後も良きメンバーが参加し現在のマンディーに至っている。

私のJAZZ経歴も少し珍しいと思う。小学校の音楽授業では縦笛を吹くのが好きだったので、音楽クラブに入りたかった。しかし男子は一人だけで音楽経験がなかったのと人数制限のため先生から断られてしまった。
そのため不本意ながら、わけのわからない気象クラブというところに配属され、いつも百葉箱の温度、湿度を計っていた記憶がある。最初の挫折感を味わった暗い時期であり人生観は変ってしまった。その反動として、中学、高校で男は強くなくてはいけないと思い剣道部に所属していた。
しかし、時々聞こえてくるブラスバンドの音がいつも気になっていた。

高校2年のクリスマスの時期、偶然TVからイタリアのトランペッター、ニニロッソが"夜空のトランペット"を吹いているのを聞きこれだと思った。翌日、親からお金をもらい道玄坂のヤマハで1万5千円の日管トランペットを買ってしまった。世田谷に住んでいたため近所の馬事公苑、又砧公園で勝手に自己流で吹いていたが、騎手が落馬しそうになったり、うるさいと怒られたり良い思い出はあまり無い。

大学では軽音楽部にでも入ろうかと考えていたが、間違って名門の中央大学スイングクリスタルに勧誘されてしまった。部員は男ばかりで 40名程いた。しかも10名以上入部した同期は皆中学、高校でブラスバンドを経験しており当然譜面も読め音も出ている。恐くなり、1日で辞めようかと考えたが何とか思いとどまった。普通なら4年間レギュラーになれないところだが、多くの同期が辞めたため3年でレギュラーになることが出来た。Jazzは良く分からなかったが、ステージは華々しくカッコ良いと思った。あれから既に30年経ってしまったが辞めなくて良かったと思っている。

マンディーではバンドのレベルを上げるには自分がうまくなる以外方法は無いと考え出来るだけ吹く機会を増やした。現在ではマンディーの横山先生、JASRACの大森先生、又山木幸三郎先生と良き師にめぐりあうことが出来大変感謝をしている。やはり、Jazz(音楽)は底が深くプロは偉大である。

最近、20代前半の入社間もない社員に誘われ会社音楽部の12名編成(Tp×3,Sax×2,Tbx1,Vo×2)バンドで少し遊んでいるが、彼らの音感、リズム感は我々中年とは全く違う。 演奏内容はDanceman, Bird, Misia, Escalator, (Incognito) 他にも横文字がたくさんあるが、何のことか判りますか?知らないのは私だけかな?(10−20代は皆知っているようである。)実際はJazz Manが演奏しているため、なかなかイ―ジャンなどと年不相応に感じたりしている。

世の経済状況は真に厳しいものがあり、そのため業務多忙、更に海外出張が多く頭が痛い。今後は限られた僅かな時間内でいかに精神的なゆとりを持ちJazzを続けていくかサラリーマンの大きな課題である。

Jazz人口は決して多くはないがそれゆえ、世界又日本で理解者に出会えた時には双方感激であり、直ぐに友人になることが出来る。以前作成されたマンデーのCDは数こそ少ないが全世界で聞かれている。(私 がプレゼントしたもの。) それが縁で今年の3月シカゴの展示会で、お客様とプロに混じり吹くチャンスを得た。下手でも皆から拍手されたことが嬉しかった。
日本のビジネスマンがラッパを吹くことが珍しかったのではないだろうか。

来年のセッションは4月にサンディエゴで行われる。今まで26年間マンディーでラッパを吹き続けてこられたのも皆様方の暖かいご支援の賜物であると思います。ここに深く感謝をいたします。同時に今後共Mondaynight Jazz Orchestraを宜しくお願い申し上 げます。

Yours very truly,
Terry N. Teruki
 

以上 本人筆
 

陰の声:照木さん・・・、照木さんを見ていると、謹厳実直とか、獅子奮迅とか、七転八倒?いやいや七転八起とか、色々な四字熟語が脈絡なく目の前に浮かんできてしまいます。そうしたスクエアなイメージに反して、イヤ、だからこそかな?、何でも一番が好きですよね!?
結婚、お子さん、一戸建て、3世代同居、開腹手術、そしてお孫さん!!。
49才でそこまで急がなくてもと思ったりもしますが・・・、どうかこの後は、ゆったりのんびりとした余生??を送られますよう、お祈り申 し上げております。
・・・でも、やっぱり先頭突っ走って行くんでしょうね、・・・感慨深いなあ。

次回は、若手ではありますが、音楽面ではおじさんたちをリードしている1st Tb.福澤知成です。
以降、Tb/Sax/Rtmと続けますので、皆さんお楽しみに。

 

(4) Quarterly(00年 10〜12月)のスケジュール:

 

10月
イベント: なし
練習:
2日
(笹塚ミュージアム)
9日
(笹塚ミュージアム)
16日
(初台ノア)
23日
(笹塚ミュージアム)
30日
(笹塚ミュージアム)
11月
イベント:
3日
(志木ニュータウンJAZZコンサート)
25日
(ヤクルトホール、第27回リサイタル)
練習:
3日
(志木ニュータウン内集会場)
6日
(笹塚ミュージアム)
12日
(多摩市コミュインティセンター)
13日
(笹塚ミュージアム)
20日
(笹塚ミュージアム)
23日
(東京オペラシティリハーサル室)
12月
イベント:
12日
(市ヶ谷グランドホテル、某団体パーティ)
23日
(昼=小平澄水園、クリスマス会)
(夜=八王子なか安、住宅工営パーティー)
練習:
4日
(場所未定)
11日
(場所未定)
18日
(場所未定)

 
 

(5) 皆さんからの声: 今回はありません

 
次回の01年1月初旬号では、来る11月25日のリサイタルのアンケー ト或いはメールでのご感想を掲載します。お楽しみに。
 

(6) お願い: イヤなら言ってね

 
次回以降の配信を希望されない方は、お手数ですが長島宛にE-Mailでご連絡下さい。ご連絡のない場合は、メーリングリストにそのまま登録を残させて頂きますので、ご了承の程お願いいたします。
又、万一ダブってお送りしている場合は、お手数ですが、その旨ご連絡下さいますようお願いいたします。
 

(7) おまけ: 私にとってのオリンピックの話しをちょっと

 
48才のおじさんである私にとってのオリンピックは、なんといっても1964年の東京オリンピックです。それもあの閉会式!

その頃、NHKの技術者だった父親の転勤先である長崎県佐世保市という港町に住んでいたのですが、夕方何故か父(当時54才)と二人きりで閉会式をテレビで見ていました。

開会式から続く競技の放送は、当時12才の少年(私です!)からしても、なんか力はいっているなぁ、という感じでした。それが最終日、うってかわって弾けるように楽しく、身体が浮き立つような閉会式でした。そうそう、アメリカの黒人選手がおどけた仕草でブラスバンドの指揮をしたりしていましたよね。
そして感動のフィナーレ、観客全員がグラウンドの選手達に向かってハンカチを振っていました。

ふと、少し後ろに座っていた父を振り返ると、眼鏡を外して流れる涙を拭いもせずにテレビに向かってハンカチを小さく振っているんです。
見ない振りしてあわててテレビに向き直りました。
もちろん父の涙を見たのも初めてでした。明治生まれの九州男子で、口数も少なく、何事も理詰めで、喜怒哀楽を表に出さない父が涙を・・・。
しかもテレビに向かってハンカチを・・・。

今思うと、敗戦の混乱から19年しかたっていないのですから、当時の大人は皆苦労していたわけですよね。父も北京の放送局に出向していて引き揚げ体験者でした。これも父からは一言も聞いたことはなく母からチラッと聞いただけでした。(ちゃんと聞いときゃ良かったな)

そんな中でのオリンピック、世界を迎え、世界に受け入れられ、無事に成功したあの日、日本中の大人が涙を流しながらテレビに向かってハンカチをふっていたのかなぁ。

ふぅ、今回はちょっとセンチメンタルおじさんでした。

「遙かな日 テレビの中の 秋深し」

第6号も最後までお読みいただきまして、有難うございます。
今後とも宜しくお願いいたします。

発行責任者 : 長島 輝雄